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茶の湯と和食のつながり

 和食がユネスコ無形文化遺産に登録されてから10年以上経ちましたが、未だ国内外から熱い視線が注がれ、開催中の万博でも注目の的となっています。 日本では長い間、結婚式などのハレの日には本膳(ほんぜん)料理(りょうり)が用意されました。見た目の豪華さに重点が置かれ、食べきれないほど膳椀が並びます。当然料理は冷めて固くなってしまうため、実際に食べる料理は袱紗(ふくさ)料理(りょうり)といって別に用意されることもあるような、「見る」ためのおもてなし料理でした。 しかし、桃山時代に千利休を中心に盛り上がった茶の湯では、余分なものは出さず、適切な量を一番おいしい温度で食べられるよう配慮した懐石料理がもてなしとして出されました。後に食器には織部(おりべ)焼(やき)や乾(けん)山焼(ざんやき)など鑑賞を楽しめる器が用いられるようになり、目でも舌でも味わえる和食の原点となったのです。 湯木美術館 学芸員 内田彩加 このページの写真:乾山焼 色絵水仙の絵透鉢(湯木美術館蔵)

サムネイル:重要文化財 織部四方手鉢(湯木美術館蔵) 織部焼:江戸時代初期の慶長12年(1607)頃以降に、岐阜県美濃周辺地域で焼かれ始めた。 独創的な模様や形の美濃陶は多くの茶人に愛され、現在でも各地域の陶工により作り続けられている。 乾山焼:江戸時代中期の元禄12年(1699)に、尾形乾山(1663~1743)が京都の鳴滝に開窯して焼き始めた。 正徳2年(1712)に二条丁子屋町へ移転して食器類を量産した。 琳派意匠の白地銹絵などの独特の技法を展開し、兄の尾形光琳との合作なども製作した。