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大阪市立美術館の特集展示「売茶翁から花月菴―煎茶道はここから始まった!―」

 江戸時代のはじめ、中国から明時代の葉茶を用いる喫茶法が伝わったことで、日本で「煎茶(せんちゃ)」が広まりました。その後、売茶翁(ばいさおう)(1675〜1763)が、京都で茶を売り歩きながら本来の禅の教えを伝えたことで、その影響を受けた文人の間では煎茶は精神を高める手段として受け入れられました。当初は煎茶に決まった作法はありませんでしたが、煎茶が普及するとともに淹(い)れ方や道具立てに法則と様式を定めた「煎茶道」として体系化されていきます。  江戸時代の文献記録をたどっていくと、文人の間で発展した煎茶を芸道として確立させ、最初の「家元」となったのは大坂の花月菴流の流祖、田中鶴翁(かくおう)(1782〜1848)でした。

 大阪市立美術館で開催中の特集展示「売茶翁から花月菴―煎茶道はここから始まった!―」では、花月菴に伝わる煎茶道具や書画を通して、売茶翁に始まる煎茶の精神文化と、それを受け継ぎ煎茶道を確立した花月菴流のあゆみを紹介しています。大阪が誇る煎茶道の原点と、その文化的広がりをご堪能ください。 大阪市立美術館 学芸員 杉谷香代子 詳細はこちら https://www.osaka-art-museum.jp/def_evt/sencha サムネイル:《南蛮写急須》青木木米(1767-1833) 江戸時代・文政12年(1829) 大阪市立美術館寄託品 一双のうち、一つの急須には「為花月菴茶伯」と彫り込まれており、木米が花月菴のために製作したものであることが分かる。 このページの写真:《売茶翁像》初代高橋道八 (1740-1804) 江戸時代・寛政10年(1798) 大阪市立美術館寄託品 花月菴では、売茶翁の月命日にあたる毎月16日にはこの売茶翁像を飾り、人々に茶をふるまう儀礼が行われていた。