和食と茶の湯に人生をかけた湯木貞一
意外なことに感じるかもしれませんが、現在のような季節感や素材の味を重視した和食の形式が整えられたのは近代に入ってからでした。それまでは食べきれない量を並べる「見る」ための本膳(ほんぜん)料理が、日本料理の本流だったのです。 明治以後、西洋料理が流入し、日本の食文化が変容に迫られていた時期に、日本料亭「𠮷兆」創設者の湯木貞一が、当時茶会という特殊な場でしか出されなかった茶の湯の料理を、日本料理の本流へ取り入れます。これが大きなターニングポイントの一つとなりました。 茶の湯に造詣の深かった湯木は、見た目からも季節を感じさせる盛り付けや器を創案し、配膳の仕方にも細部まで配慮を行きわたらせ、現在の和食の基礎を築きます。湯木の料理が書籍で写真と共に紹介されると、全国の日本料理が「𠮷兆風」になったと言われるほどの広がりを見せ、さらに世界にも知られるようになりました。 湯木美術館 学芸員 内田彩加
このページの写真:蓮の花向付 3枚の蓮弁それぞれに平豆の3色の料理を盛り、大きな蓮の葉で包んであります。竹串で止めた蓮の葉を開いたときの美しさは格別です。(湯木美術館編『𠮷兆 湯木貞一のゆめ』朝日新聞社、2002より転載) サムネイル:前菜 朝顔棚 朝顔棚の趣向です。皿にスモークサーモンを盛り、その上に朝顔棚をのせて、朝顔の蔓と葉をからませています。朝顔型猪口には、イクラ粕漬け、大根おろし。青唐辛子油いため煎芥子。小芋の胡麻和えに煎豆たたき、柚皮微塵散らし。器は魯山人作の織部四方皿。(湯木美術館編『𠮷兆 湯木貞一のゆめ』朝日新聞社、2002より転載)